こんにちは!
適応障害で休職して1カ月以上、自宅療養しているあいと(@aito210610)です。
今回は、
適応障害になってよかったこと5選
【適応障害で1カ月休職したからこそわかったこと】
について書いていきます。
まず初めに言いたいのは、できることなら適応障害にはなりたくなかったですし、
今のように無為に時間を過ごすよりも、人の役に立つような仕事はしたいと思っています。
なので、適応障害にはならないで済むならなりたくなかったですが、
なったからこそ、わかったこともたくさんありました。
今回はそのうちの5つを紹介します。
この記事は
・適応障害になってしまい、希望を失い悲しんでいる方
・嫌なことがたくさんありすぎて、いいことが見つけられない方
が少しでも元気になれるような記事になっていますので、
良かったら最後まで読んでくださいね!
ではいきましょう!!
自分の気持ちに正直になれた

これまで無意識的に自分の感情を押し殺して仕事をしていることに気がつきました。
きっかけは中田敦彦さんのこの動画を見たことでした。
そしてモーニングノートをはじめて、自分の思ったことを書くようになったことをきっかけに、
自分の仕事に対する思いや不安がはっきりと認識できるようになりました。
これまではぼんやりと嫌だな不安だなと漠然と思うだけで、
仕事だから仕方がないと割り切るようにしていました。でないとメンタルが持たないので。
でも、ずっとこのまま我慢したままでいいの?ずっと向いてないと思う仕事を続けるの?
と自問自答を繰り返していくうちに、辞めるしかないと思うようになりました。
でもその結果、さらに色々と自分に対しても職場に対してもマイナスなことを考えたり、
辞める時のことを考えたりして、中途覚醒するようになったり食欲が減退して、
適応障害になってしまったんですけどね。
だから自分の気持ちと向き合うことの大切さを知ったと同時に、
自分の気持ちに蓋をし続けること、仕事だからと割り切りすぎてしまうと、
後々痛い目にことを身をもって知りました。
自分の気持ちに正直になること、きちんと自分と向き合うこと
これはとても大切なことであるとよくわかりました。

色々と悩みすぎて適応障害になってしまったのは残念でしたが、
うつ病になる前に診断されてよかったと思うようにしています。
健康の大切さを知った

昔から健康には恵まれていました。大きな病気や手術などもしたことがなかったですし、
もちろん精神疾患になったことはありませんでした。
そのようなことから、健康であることが当たり前のことだと思っていました。
でも健康って当たり前ではないということを適応障害になって知りました。
まず、眠れないって地味に結構辛いんですよね。
私の場合は寝つくことはできたのですが、中途覚醒してしまい、
そのまま2時間くらいずっと眠れず仕事のことを考え続けるという症状が出ました。
その後気絶するように寝るのですが飽きる時間まで1時間くらいしかなかったので、
眠れた感覚があまりありませんでした。
これが何日も続くにつれて、日中も頭がぼーっとしたり、だるくなったり、
集中できなくなったりして、何をやるにしても体が重くて辛かったです。
そして食欲減退も危険信号であることを知りました。
私の場合は完全に自覚症状がなく、周りの人から「やせた?」と言われるようになったことと、
健康診断で体重を測って気が付きました。
思い返せば、間食はしなくなり、食に対する興味が薄れていたように思います。
食べても意味がない。ただの無駄のことのようにも感じていました。
よく眠ること、そして食べることが健康に直結していて、
非常に重要であることをようやく体験でもって知ることができました。

よく眠ることができること、食べられることに感謝できるようになりました。
メンタルが弱っている人の気持ちがわかるようになった

恥ずかしながら、適応障害になるまで、適応障害という病気を知りませんでした。
うつ病と双極性障害とパニック障害の友人がいたので、それらの病気は知ってはいました。
でもどういう病気かまでは知りませんでしたし、
どういう気持ちになるかまでは考えもしていなかったです。
適応障害になって、ほんの少しだけそういう人たちの気持ちがわかったような気がしました。
・自分のことが大嫌いすぎて死にたくなる気持ち
・何もかもが嫌になって、一日何もせずに終わってしまったときの気持ち
・夕方から夜にかけて情緒が不安定になって、涙がとまらなくなるときの気持ち
・辛くて何もできないのに、家族から何かしら行動するよう責められたときの気持ち
この他にもまだまだ書ききれないくらいありますが、そういった気持ちをわかることは、
心身が健康であればまずないと思います。
適応障害になってわかったのが、実は辞めていった後輩たちも、
診断を受けていないだけで適応障害だったんじゃないかということです。
過呼吸になったり、突然泣き出したり、事故って死にたいという願望があるなど、
色々と症状は出ていたので、本当に辛かったことと思います。
そしてそういう後輩たちに対して理解を示すことなく、
何も声をかけてあげられなかったことを大いに悔やみました。
過去に戻って励ますことはできないので、これからは身近に苦しんでいる人を見つけたら、
やさしく声をかけていきたいと強く思うようになりました。

弱くなって初めて、弱っている人の気持ちがわかるようになって良かったです。
家族と過ごす時間の大切さを改めて知った

家族で過ごす時間ってどれくらいとっていますか?
私は実家からそう遠くないところに住んでいるので、
月に1回くらいは両親にあってご飯を食べていました。
私の中では非常に高い頻度だと思っていました。しかし両親にとっては少なかったことを知りました。
私が適応障害になって休職してとても力になってくれたのが母でした。
週に1回くらいのペースで私を誘って、どこかに一緒に出かけてくれました。
その道中や行った先で、悩みのことや将来の不安についてなど沢山話す機会に恵まれました。
そして実家によく行くようになったことで父とも話す機会が増えました。
ある日、ぼそっと父が「親とこれだけ話すということはいいことだね」と言いました。
そういえば母もさりげなく「本当はもっと話したかった」と運転中に言っていました。
子が思っている以上に、大人になっても親は子を心配しているし、
話したがっていることを知りました。
また、妻とも過ごす時間が増えました。
普段であれば、限られた時間で色んな家事をこなさないといけなかったので、
ちょっとしたことでイライラしていましたが、そういったことがなくなりました。
そのことで、以前よりも妻と穏やかな気持ちで話したり過ごせるようになりました。

家族とのコミュニケーションってとても大切ですね。
自分にやさしく生きることの大切さを知った

自分に優しくするってどんなことなんでしょう。
正直これまで考えたことがありませんでした。
私は「自分に甘い人間」という認識があったので、
「自分に優しくする」というより、どうやって「自分に厳しくする」かということを考えていました。
私は本当に厄介な人間で、色々と自分ルールを作ってしまいます。
○○をして当たり前、○○できないとやばいなどと考えたり、
新しい習慣を身に付けようとしても、身に付かなかったら自分を責めるし、
身に付き始めててももっといけると思って、よりハードにしてしまう癖があります。
無意識的に「限界までやらないのはただの甘え」と思っていたのだと思います。
どこかで自分はもっとできるはずと期待していた側面もあったとも思います。
しかし、そういう期待は簡単に崩れ、また落ち込むという負のスパイラルでもありました。
ゆるーく生きようとみたいな発想は自分にはできませんでした。
記録をつけていても、できたことよりもできなかったことに注目してしまいました。
こういう習慣や考え方のし過ぎは、良くないと適応障害になって自覚できるようになりました。
時には自分の頑張りや成果を評価し、
自分に優しくすることも大切だと思えるようになりました。

自分頑張った!えらい!ってたまには褒めましょうね~
最後に

適応障害になって良かったことについて5つ書きました。
それは、
・自分の気持ちに正直になれたこと
・健康の大切さを知ったこと
・メンタルが弱っている人の気持ちがわかったこと
・家族と過ごす時間の大切さを知ったこと
・自分にやさしくする大切さを知ったこと
です。
仮に適応障害にならず、今も普通に過ごしていたらこれらのことを知らずに生活していたと思います。
ある意味で恐ろしいですね。
適応障害になって手放しでよかった!!とは言えませんが、得たものはとても大きかったです。
言うまでもなく、どれも当たり前のことばかりなのですが、そういう当たり前のことこそ、
実際に何かしらの体験でもって初めてわかることができるのではないかと思います。
そういう意味では、適応障害になってよかったと思います。
もちろん色々と辛いこともありますけどね。
今のこの状況は、私の人生におけるパワーをためる期間だと思うようにしました。
今後より高く跳ぶために、今はまさにばねが縮んでいる状態だと思っています。
いつか高く跳べることを夢見て、希望を捨てずに、やれることからやっていこうと思います!
今回はこんなところで終わりにしたいと思います。すこしでも参考、励みになればうれしいです。
私のようにパワーをためる時期の方は、お互い今のうちにたくさんパワーをためておきましょうね!
そして自分にやさしい生き方をしていきましょう!
それではまた!!
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